人には見えるもの見えないものがあるでしょう。
人それぞれが持つ経験や感情は、記憶になるでしょう。
記憶も異なる印象に変わることもあるでしょう。
その記憶と印象は、ときに記録ともなるでしょう。
ぼくたちは言葉にできない感情を抱えつづけている時間の方がずっとずっと多いでしょう。
どうしてもわからないもの、不思議なものたちはあるでしょう。
そのわからないものたちから人知を超えて、いつもの暮らしに恩恵も得ていることに気づくでしょう。
それは、便利に満たされた生活や慢心で忘れがちな、だれもが持つ祈りや感謝のような世界に共通するものなのかも知れません。
もし、宮澤賢治さんがいうように科学と信仰の神様の一致を求める「実験の在り方」を見つけ出そうとするのであれば、それは、おそらく「しあわせとは何か」という命題なくしては成立しないでしょう。
ぼくは、それをこれからも交流と体験を通して、出会う地で、出会う人たちとゆっくり積み重ねてゆきたいと思います。
「知るということは感じることの半分も重要ではありません」(レイチェル・カーソン)