星野道夫さん名言集

○浅き川も深く渡れ

 

○ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が確実にゆったり流れている

 

○柔らかい日射しの中、ぼんやり雲を眺めていると、心臓の鼓動がやけにはっきり聞こえてくる

 

○太陽のぬくもりで、春の気配で、例えたまゆらでも人は幸福を感じることができるのは、なぜだろう

 

○風こそは、信じがたい柔らかい真の化石だ、と誰かが言っていたのを思い出す

 

○大切なことは、出発することだった

 

○いつかおまえに会いたい

 

○ぼくが子どもの頃に頭を悩ませていたのは、北海道のクマの存在だ。自分が日々街の中で暮らしている同じ瞬間に北海道でクマが生きている。そいつは今どこかの山に登りながら、大きな倒木を乗り越えようとしているかも知れない。そんなことを考えると不思議で不思議でならないのである

 

○アラスカは、類い希なるスケールの大きさを持ち、しかも原始性と純粋性を秘めた世界だった

 

○人間のためでも、誰のためでもなく、それ自身の存在のために自然が息づいている。その当たり前を知ることが、いつも驚きだった

 

○アラスカは、グリズリーに残された最後の大地なのだ

 

○もし、クマが存在しないのなら、ぼくはこの土地に来ないだろう。例えそれが点のように離れていても、一頭のクマは、その広大な原野の光景を引き締める。そして、この土地が自分ではなく、このクマに属していることを知る

 

○極北の植物の魅力は、一見弱そうな姿の中にあるたくましさなのかも知れない

 

○自然は強い者だけが生き残り、子孫を残していくという。自然は本当にそんなに教科書通りに動いているだろうか。自然はある意味において、弱い者さえも包容する大きさがきっとあるような気がする。弱者には弱者なりの生きる術がちゃんとあるのかも知れない

 

○人間の生きがいとは一体何なのだろう。何も生み出すことのない、ただ流れていく時を大切にしたい。もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい

 

○大人になって私たちは子ども時代を懐かしく思い出す。それはあの頃夢中になった様々な遊び、今は消えてしまった原っぱ、幼なじみだろうか。きっとそれもあるかも知れないが、おそらく一番懐かしいものは、あの頃無意識に持っていた時間の感覚ではないだろうか

 

○植物が内包する色は一体どこからやってくるのか。いや、そもそも自然の色とは何だろう

 

○子どもの頃に見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり様々な人生の岐路に立ったとき、人の言葉でなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることが、きっとあるような気がする

 

○本当の意味での野生、原始自然というものを、ぼくは見たかった

 

○カリブーとの出会いは、「間に合った」という不思議な想いをぼくに抱かせた

 

○ぼくはタイムトンネルに導かれるようにカリブーの旅を追った。いつか本当の伝説になるかも知れないこの光景を自分の記憶の中に残しておきたかった

 

○通り過ぎてゆくカリブーの足音は、アラスカの原野が内包する生命という潮の流れのようだった

 

○なんて長い水の旅なのだろう。この氷河をずっと以前から見たかった

 

○エデンの東、ふとそんな言葉が頭に浮かんだ

 

○はるかな昔、誰かが夕暮れの海を見ていた

 

○今、自分の下でザトウクジラが歌を歌っている

 

○まるで大砲のように海面下から飛び出してくる、すさまじい程の迫力だ

 

○目線で見るというのはやはり違う。海の色、空の色がたまらない。クジラがいるだけで素晴らしい

 

○人間にとって、きっと二つの大切な自然があるのだろう。一つは日々の暮らしの中で関わる身近な自然である。そして、もう一つは日々の暮らしと関わらない、遙か遠い自然である。が、そこにあると思えるだけで心が豊かになる自然である。それは生きていく上で、一つの力になるような気がするのだ

 

○クジラは、なぜ海から出て、宙を舞うのだろう

 

○きっと自然とは、それ自体、何の意味も持たないのかも知れない。そして、そこに意味を見いだそうとするのが、私たち人間なのだろうか

 

○アマゾンを上回る降水量が、この南東アラスカの森を作り上げている

 

○長い時が過ぎた倒木は、ただの倒木ではない

 

○あらゆるものが、どこかでつながっているのさ

 

○トーテムポールに刻まれた不思議な模様は、彼らの遠い祖先の伝統と記憶である

 

○人間が消え去り、自然が少しずつ、その場所を取り戻してゆく

 

○すべてのものの存在は、はるかな時を超え、今ここに在る

 

○毎夏のことだが、時間の感覚が全く麻痺してくる

 

○体にしみる太陽のぬくもり

 

○この土地にずっと暮らしてゆこうと思い始めてから、自分を取り巻く自然への見方が少しずつ変わってきた。簡単に言えば、何かとても近いのだ

 

○アラスカのミクロの世界は実に壮大だ

 

○自然は時折、物語を持った風景を見せてくれる

 

○あらゆる生きものたちを見ている時、どうしようもなく惹きつけられるのは、今、この瞬間を生きている、その不思議さだ。そんな強さと脆さを秘めた、緊張感のある自然なのだ

 

○ぼくは自分の中にさえ息づく遠い狩猟の本能に驚くことがある

 

○人はいつもそれぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ

 

○人の暮らしは変わってゆく。それが何かを失ってゆくにせよ。私たちが望む豊かさに向いて動いている

 

○私が思いを巡らせる生きものの存在は、今の時代、どのような意味を持つのだろう

 

○私たちは千年後の地球や人類に責任を持てと言われても困ってしまいます。けれども、こうは思います。千年後は無理かも知れないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。地球上にグリズリーが徘徊する土地を残して欲しいと思います

 

○個々の死が淡々として大げさでない。私たちが生きてゆくということは、誰を犠牲にするかという、終わりのない日々の選択である。近代社会では見えにくいその約束。約束とは言い換えれば血の匂いであり、悲しみである

○秋、生きものたちは成長と繁殖の仕上げを急がなければならない

 

○クマと頭をはち合わせしないように

 

○私には銃もなく、たった一人だったが、何の恐れもなかった。それほどまでにオオカミの遠吠えは周りのすべての自然と調和して、神秘的なハーモニーとして聞こえていたのだ

 

○この土地の季節の変わる瞬間が、ぼくは好きだ。自然とはなんと粋なはからいをするものなのだろう

 

○一年に一度、名残惜しく過ぎゆくものに、この世で何度巡り会えるのか。その回数を数えるほど、人の一生の短さを知ることはないのかも知れない

 

○生きる者と 死す者

 

○誰に見られることもなく、こんなふうに何千年、何万年、カリブーは極北を旅してきたのだろう。そこに説明のつかない自然との約束がある。それはぼくたちが失くしてしまった、生き続けてゆくための一つの力

 

○ゆったりとして、確かな自然が内包するそのリズムは、なぜか人間の気持ちを悲しくさせるような気がした

 

○自然に対する畏怖のようなものだよね

 

○極北の四季は、めまぐるしく過ぎてゆく

 

○季節が秋から冬に移ってゆくにつれ、自然は人々の暮らしにブレーキをかけてゆく

 

○満潮が押し寄せ、再び引いてゆく前の海の静けさのようなとき、人の一生にも、そんな季節があるだうか

 

 

○初雪は、クマにどんな想いを抱かせるのだろう

 

○ナヌーク、それはエスキモーの人たちがホッキョクグマを呼ぶ名である

 

○氷の世界に生きるクマがいる。それはどう考えても非現実的な物語の世界だった

 

○アラスカの冬は、いつもある日突然やってくる

 

○生命とは一体どこからやってきて、どこへ行ってしまうものなのか

 

○生きものたちは、ただ、次の春まで存在し続けるため、ひたむきな生の営みを見せてくれる

 

○雪の世界の美しさは、地上のあらゆるものを白いベールで包み込む不思議さかも知れない。人の一生の中で歳月もまた雪のように降り積もり、つらい記憶をうっすらと覆いながら、過ぎ去った昔を懐かしさへと美しく浄化させてゆく。もし、そうでなければ、老いてゆくのは、なんと苦しいことだろう

 

○それにしても、四季の移り変わりと、人の一生は、なぜこんなにも重なり合うのだろう。めぐる季節の中で、人もまたそれぞれの季節を生きている

 

○どうやって命の灯火をともし続けるのだろう

 

○一本の木、森、そして風さえも魂を持って存在し、人間を見据えている

 

○オーロラは、次第に輝きを増し、全天に広がっていった。ここは宇宙と対話できる不思議な空間だった

 

○ダイヤモンドダスト、身の引き締まるような冷気にかぐ、混じりけのない、透き通った冬の匂い

 

○アラスカの自然は、自分のかけた気持ちの分だけ、いつも何かを教えてくれた

 

○いつか友人が、この土地の暮らしについて、こんなふうに言っていた。「寒さが人の気持ちを温かくする、遠く離れていることが人と人の心を近づけるんだ」

○ブリザードが吹きすさぶ中で、アラスカの冬の日々が過ぎてゆく。そんな過酷な冬の風景に惹かれる。自然という鏡に映された自分自身の生命の姿がはっきり見えてくるからだろう

 

○厳しい冬の中に、ある者は美しさを見る。暗さではなく、光を見ようとする。それは希望と言ってもいいだろう。だからこそ、人はまた冬を越してしまうのかも知れない

 

○きっと同じ春が、すべての者に同じ喜びを与えることはないのだろう。なぜなら、喜びの大きさとは、それぞれが越した冬にかかっているからだ。それは幸福と不幸のあり方にどこか似ている

 

○人間の気持ちとはおかしいものですね。どうしようもなく、些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるものですから。

 

○人の心は深くて、不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで人は生きてゆけるのでしょう

 

○あらゆる生命がゆっくりと生まれ変わりながら、終わりのない旅をしている

 

○ぼくは、少しずつ新しい旅を始めていた

 

○個の死が淡々として、大げさではないということ。これは命の軽さとは違うのだろう。きっと、それこそが、より大地に根ざした存在の証なのかも知れない。自然は、そのときになって、そして、たった一度だけ、私たちを優しく包容してくれるのではないだろうか

 

(「星のような物語」より抜粋)