これから、一匹の猫が、ぼくたち夫婦に教えてくれたことを書いてゆこうかと思います。
その猫の名前は、ちゃちゃといいます。
14才の、ややおじいさん猫です。
2012-11-30
冬越し準備のめだかよりも、我が家の猫のちゃちゃだった・・・
今朝、急いで、どうぶつ病院で診ていただくと、
慢性腎不全状態らしいとのこと。
ちゃちゃが、ぼくにとっての探していた青い鳥だったのだ・・・
もらった薬たち
元気のない顔
後ろ足が立たない、つらそうなちゃちゃ。
いつものカリカリごはん
2012-12-01
いろいろ用意した缶詰や療養食。
じっと目をつむり、つらそうな表情。
やせているのですが、
毛がふくらみ、よけいに丸く見えます。
まるで二頭身です。
布団の真ん中に沈んで寝ているところ。
2012-12-02
血尿が出てしまいました。今日は妻と2人で通院しました。
病院からいただいた採尿セットとくすり。
2012-12-03
今日も通院。
尿検査。輸液(皮下点滴)の練習もさせていただきました。
日光浴が好きなのですが、毛のつやが
まったくなくなりました。
2012-12-05
今朝5:30に起きると、一緒に寝ていたちゃちゃがトコトコと台所まで、歩いてきてくれました。
今日から通院せずに、はじめて自宅で輸液(皮下点滴)です。
やかんで少し熱いお湯を沸かして、容器に移し、その中に点滴袋を入れ人肌程度に暖めます。
(点滴下側は濡らさないように)
そして点滴針を、位置を定めてアル綿で消毒してから射します。
(実際には、その程度で消毒にはならないだろうと思われる)
(針には向きがあり、下斜めが最大の方向で)
またニャーと云われました。
あ、針がいつものより太いせいかも・・・
改めて新しい細い針に切り替えて刺しました。
ポタポタが安定しない・・・うわっ漏れていた・・・
また刺し直し・・・3回もごめんよ
それでも逃げないちゃちゃ・・・ごめんよ
10分くらいで終了。初めての自宅輸液、よくがんばりました。
今度はご飯ミール食です。
(森永製TubeDiet腎疾患猫用キドナ 20g/400円)
必須アミノ酸食餌療養というものらしいです。
栄養が熱で破壊されるため、温度が肝心です。
小さなお皿に10cc水を電子レンジで加熱、人肌くらいに冷まし、粉末5gをよく混ぜます。そして、注射器(針ナシ)で経口投与。
たったこれだけが朝夕の食事です。
次は、コバルジン200gとアドソルビン粉を水で混ぜスポイトで経口投与。
これも朝夕の薬です。夕には抗生物質も追加です。
今朝の経口投与後、少し元気がでたのか、自力でカリカリご飯を食べようとトコトコ向かいましたが、やはり食べられないようでした。
それから今日も1日、布団の上で、ぐったり休んでいたようです。
それでも夜に元気がでて、ふらふらトコトコ歩き、また以前のカリカリを食べようとがんばりましたが、やっばりそこでも食べられないようでした。
診断が出たはじめの頃、ぼくたち夫婦はどっちが原因かと夫婦ケンカになりました。
「どうして、大量水飲みやオシッコの症状に気づけなかったのか?」
「北海道にいる頃から、よく水を飲む子だったし・・・オシッコも」
「体重が落ちていること、動きが鈍くなっていたことに気づけなかったのか?」
「1日中、丸くなって寝ていたし・・・普通にカリカリを食べていたし」
「故郷の北海道で虹の橋のたもとへゆかせてあげたい!(理性を失い、わがまま承知)」
「いまの状態で飛行機には乗せられない!(至って、妻は冷静)」
「毎日の通院はできないし、むずかしい!」
「このまま何もしなかったら死んでしまう!」
「ちゃちゃが会話を察するから、いつもとおり仲良くしないといけないよ」
「輸液は楽になるみたい、しっぽをゆらゆら振るし。その後は少し元気でてる」
「うちらで分担協力して、毎日を少しでも楽にさせてあげることが大切ね」
「検査や治療の方針は、獣医さんを信じるよりないし、ちゃちゃの生きる力を
誰よりも信じるよりないよ」
「毎日できる限りの愛情を注いで、悔いのないように、
最期は、自宅で看取ろう」
それから、ぼくたちは、いつものように川の字になって寝ることにしました。
ちゃちゃが真ん中です。お話をしながら。
夜のちゃちゃは眼もまあるくて、温かくふわふわで、余計にかわいいのです。
そういえば、甘える仕草の、前足ふみふみをしなくなりました。
病気が発覚してから、強く口臭がするようにもなりました。
これから吐血やオシッコの失禁とかもあるのかも知れません。
どこまで、いつまで日常生活に影響や負担があるのか不安です。
点滴セットと森永製栄養粉末。
動かずに、じっと耐えるような表情。
2012-12-06
今日は通院して、血液検査の2回目をしました。
ちゃちゃも守られているんだよ。
2012-12-07
昨夜、嘔吐がありまして。布団の上で・・・
今朝は少し遅めに輸液(皮下点滴)150ccを一人でしてみました。
途中で、少し漏らしてしまった・・・
投薬後、ミールを注射器でいつもの倍10gを溶かして与えてみました。
その後、自力でいつもの病前のカリカリご飯のところで20粒ほど食べてくれました。
差し出した手のひらから食べてくれました。
療養用のk/dではなくて、いままでのカリカリ(ヒルズ)です。
よしよし。
ほんとうにうれしいです。
ぺろり食べているところ、カシャリ。
2012-12-08
早朝に起きて、輸液(皮下点滴)150ccを行いました。
慣れてきたかも。
そのまま、薬もスポイトで経口投与する。
慣れてきたかも。
ご飯を自力でもりもり食べ始める。
ヤッホーヤッホー!と歩き始める。
一粒ずつ転がしているところ。
北海道とはちがい、九州は、冬でも
のんのん日光浴ができるんですよね。
2012-12-21
今日は通院日。 血液検査は見送りました。
元気になってきたかもよ~
2012-12-24
今年のクリスマス、ぼくたち夫婦にとっては、
何よりも、ちゃちゃの存在とぬくもりがあることが最大の恵みです。
昨年の今日は、北海道でこんなに元気でしたね。
いまは、ここまでのやんちゃ遊びはできません。
[前年の動画]音量注意~ミスマッチなBGM付き♪
2012-12-28
今日は通院日でした。
2013-01-04
ぼくたちは、新年をちゃちゃと迎えられました。
今日は通院日でした。
2013-01-17
今日は通院日でした。血液検査を行いました。
ちょうど4年前の定期血液検査結果。
健康なこのころに戻してあげたい。
2013-01-25
今日は通院日でした。寒い夕方になんとかゆけました。
夕方は、ワンちゃん患者が多いのですね。
いつもの体重測定3.0kgを維持。
毛並み(グルーミング)良し、聴診器で心拍も良し。
輸液開始や場所を学習している、よい子ですね、と、ほめられました。
ちゃちゃは、輸液中、しっぽをゆらゆらと振る。痛いだろうにな。
エリスロポエチン(人間用赤血球造剤)の注射(首後ろに)ニャー
口臭は胃内部からしているのかも?と、
ガスターの粉薬をいただくも、2日後にやめました・・・
前回診察時からの様子
・日向ぼっこと、ひざに乗る、よく寝る、なんだかつらそう
・ご飯~カリカリは1月16日にて自力でも食べられなくなった
~缶詰でも同様
ミール(キドナ)を毎日20gに増量
・血尿記録 1/14, 1/17
・うんち記録 1/6,7,8,12,16,18,21,25
2013-02-07
今日は通院日でした。
2013-02-09
最近のちゃちゃを観察してみて変えてみたこと。もうこれが最後の望みかと。
購入した水たち。
2013-02-16
今日は通院日でした。
2013-03-02
今日は通院日でした。
2013-03-09
今日は通院日でした。
毎日、朝夕、輸液にがんばっている
ちゃちゃ。
輸液にがんばっているちゃちゃの顔。
2013-03-22
お正月を超えられるかと悲観覚悟もしていたこともありましたが、ここまで元気に!
自力食事はできないままでも、自力歩行とトイレは可能。
ゴロゴロと毛づくろいも復活。
すごいぞ、ちゃちゃ!
春の陽気とお日さまパワーのおかげですかね。
元の優しい顔つきと毛づやにも戻りました。
夫婦力の日々であります。
自分一人では、ここまでできなかったろうし、途方もない悲しみにくれていたろう。
4月の結婚記念日の記念写真、今年も一緒に写ろうね!
日向ぼっこ大好き、ちゃちゃ。
妻から、よしよし。
2013-4-2
北海道から父母、東京から甥っ子が来ました。
ちゃちゃは、自宅内でみんなと久しぶりのご対面。
再会できて、よかった。
みんなと記念撮影をしました。
よしよし。
2013-04-13
今日は通院日でした。血液検査をしました。
2013-04-19
いままで、ずっと続けている在宅治療は、
朝 皮下点滴100cc
アドソルビン粉薬
アンチローブ粉薬
コバルジン1/2包
森永製キドナ小さじ4杯
下剤約1cc
(所要時間、約一時間)
夕方 森永製キドナ小さじ3杯
夜 皮下点滴100cc
アドソルビン粉薬
アンチローブ粉薬
コバルジン1/2包
フォルテコール1/2錠
森永製キドナ小さじ5杯
下剤約1cc
(所要時間約3時間。コバル、フォルテ、下剤は吸着するため、各1時間置くため)
必要道具
・皮下点滴~温める容器、アルコール綿
・薬と栄養粉~スポイトと小皿
・綿とテッィシュたくさん
毎日2回も背中に注射して、こんなにスポイトで無理矢理に投与して、ごめんよ。
くるしいだろ・・・よしよし。
大好きな布団の上から動かない、ちゃちゃ。
もう、それはそれは、とても痩せています・・・
そんなくりくり真っ黒な目をして、
見えているの?
2013-4-19
ぼくたち夫婦の結婚記念日の写真撮影をしに、いつもの写真館へ。
いつもおもちゃを鳴らしてくれて、ちゃちゃはカメラを向きます。
ちゃちゃはがんばって、ぼくたちの真ん中で写ってくれました。
2013-04-21
ちゃちゃのいまの様子。
2013-04-23
雨、気温14℃ 時刻18:55
ちゃちゃは、ぼくの前で、腕の中で、虹の橋のたもとへとわたりました。
2013-04-24
介護や看取りの次に、エネルギーがいること、それは儀式です。
翌朝4時まで、妻と2人きり、亡き父のお仏壇の前でお通夜をしました。
妻は云います。
北海道で寂しいとき、ちゃちゃがいつも味方になって、慰めてくれたと。
苦痛だったろうに最期までぼくらが後悔しないよう従順に治療看病をさせてくれて、悲しいけれども、感謝と清々しい気分なのと。
妻は告白しました。
前日、妻が当番だった皮下点滴の際に心臓発作痙攣を起こしていたのと。
カレンダーをよく見上げていた子でした。
昨日は2人の同時休日。どこまで気遣いな子なのか。
こんな子いないと、何度も何度も、2人で泣きました。
でもね、眠っているような姿を火葬になかなかできないの。
ぼくらは、その後の供養の仕方を決めていなかったのです。
朝、妻は泣いて起きられません。
頑張って、ペット葬儀屋さんに、火葬や供養までのことなどを電話相談しましたが迷いました。
飼い主さんの事情や気持ちなどでいろいろとあるようです。
また連絡します、と受話器を一旦置きました。
妻も、ちゃちゃの魂はもう此処にはいない、肉体が滅びただけ、病気や苦痛から解放されたんだよねと頭ではわかっている様子。
ゆっくり話し合って、いつか北海道の故郷に還しても良いように、火葬してお骨拾いしてこようということに決まりました。
再度電話をして予約時刻は、正午としました。
雨の中、ちゃちゃのよく乗ったレガシィへ載せて、まず動物病院へお礼に向かいました。
すぐにしたためた手紙と、医療用措置一式残り、輸液セットや薬、栄養粉などを持って。
ちゃちゃは文字が書けないので代筆です、とお渡ししました。
みなさんが、泣いてくれました。
でも、妻が一番泣いていました。
晴れ間が出てきました。
春の照葉樹林が笑って見えます。
まるでブロッコリーのようです。
涙の雨が降ったせいかも知れません。
黄砂もなく、空がソーダ水のようにきれいに晴れ渡っています。
妻が、火葬の際にお花を入れたいと云うので、お花を選びにゆきました。
やっぱり早めに家から出かけてきて正解でした。
2人でカーネーションの、鮮やかなピンクと黄色の花に決めました。
ちゃちゃの毛色に、とってもお似合いです。
到着して、ご挨拶しました。
ダンボールの中に眠っているちゃちゃを台車の上に大事に置き、お願いしました。
顔を2人でそっと水拭きの儀式をしました。
そして、綿棒で口へ末期の水を塗りました。
毛とヒゲを少し切って、お守り袋にして下さいました。
最期に何か声かけはありませんか?と尋ねられ、号泣。
かける言葉もでないまま、
すぐに、ちゃちゃの台車は、暗い暗いまっくろな窯のある方へ移動されました。
そして、窯の前で、スタッフさんに、こう云われました。
「これから、この緑色のボタンを押すと点火します」、と。
大声で「合掌」。
妻と2人で数珠を握りしめ、手を合わせました。
ちゃちゃーーーありがとーーーー号泣
待合室で、妻と静かな時間を過ごしました。
妻は、めそめそ、ボソボソと、いろんなことを、自ら話してくれました。
ちゃちゃのこと、ぼくのこと、ぼくのためにちゃちゃが必要だったこと。
病気になったときから違うちゃちゃになった気がして懸命措置したこと
PCをしているぼくと、そばにいるちゃちゃの姿が好きだったことなど。
こんな子、やっぱり、もういないよね、と。
一時間後、女性スタッフさんが、お骨拾いの準備ができましたと、やって来ました。
ぼくは、正直、わかってはいても、直視するのはイヤでした。
でも、そこにはもう、ちゃちゃの姿や面影はどこにもありませんでした。
ただ、ステンレスの上に、骨格標本のようにきれいに白く並べられた物体があるだけでした。
待合い中に一番小さな壺を選んでいたので、大切な箇所だけ入れようとしましたが、ほぼ全部入りました。
それほど、ふわふわだったちゃちゃは小さかったのです。
ちゃちゃの可愛いかったこうべは、ぼくが箸でガシャリと崩しました。
骨壺ごと抱いてみると、生前のちゃちゃと同じくらいの重さでした。
大切に胸に抱きました。
般若心経を読経していただき、お焼香をしました。
ちゃちゃが、仲間たちのいる虹の橋のたもとで元気でいられるよう、これからもぼくらのそばにいるように祈りました。
いつもの家に帰宅した空間。
いくら探しても、ちゃちゃの姿は、もう、どこにもありません。
室内飼いペットなので、帰宅すると、まずは探してしまう悲しい生活習慣があるのです。
無音の寂しさに溢れていました。
あちらこちらに、まだ、ちゃちゃの想い出の品々。匂い。
妻は放心状態でしたが、2人でいろいろ話しました。
ひどく自責しているようです。
私は、死に目に会えなかった、と。
ぼくは、それは違うよと云いました。
ホスピスケアで大切なことは、臨終の際や場に立ち会うことではない、と。
意識のあるうちに、どれだけの愛情や想い出、対話の時間をつくるかの方が大切だと。
それをあなたは、ぼくたちは、できてきたじゃないか、と。
妻に、感謝とねぎらいの言葉をたくさんかけました。
それから、妻は、せっせと無心に掃除を始めました。
忘れたいかのように、さらには洗濯を続けていました。
ぼくは、ちゃちゃの想い出の品々を、一旦見えなくするよう押し入れなどに隠しました。
離れて暮らしている妹が昨朝に夢を見たらしく、連絡がありました。
お仏壇の下で、笑って安らかなちゃちゃが箱の中にいた、と。
的中していてびっくりしました。
白黒のニャン子4匹、うち一匹は仔猫にペロペロされていた、と。
北海道のかかりつけ獣医さんへお礼の電話を差し上げました。
今までのお礼と、夢にでてきてくれたお礼をば。
ペットの死は、ときに飼い主さんの不慮や悩みなどを身代わりしてゆく希望のものなのだと教えてくれました。
ぼくは、ときに亭主失格?だけれども、一匹の猫、ちゃちゃの飼い主として最期まで責任をもって頑張ることができたようです。
いままでの人生で多くの大切な人、身近な人たちを亡くしてきて、いろんな人の立場も痛いほどわかり、そして何より自分で介護、看取り、火葬と気丈にできたようです。
ひとえに妻と、みなさんのおかげです。
生前には、ちゃちゃをずいぶんかわいがってもらいました。
どうぶつ病院のみなさま、本当にありがとうございました。
ぼくとちゃちゃは北海道から九州にやってきて、初めて共に暑い夏を超え、雪のない冬を過ごし、いま、街路樹に咲く、淡いやら濃いやらピンク色の花を初めて見上げています。
それがハナミズキなのだと知りました。
ぼくにとっては、はじめて見る木です。
そこから、ハナミズキの歌を想い出しました。
これから、妻と2人だけの生活となります。
少しずつ穏やかに癒されてゆきますように。
どうか、ぼくたちの最愛のちゃちゃが、九州と北海道に架けた虹の橋のたもとで、苦しみから解放されて再び元気な姿に戻りますようにー
青い鳥は探すものじゃない、いつもの日常に、そばにあるものに宿っています。
ちゃちゃ、たくさんのことをぼくたち夫婦に教えてくれて、ほんとうにありがとう。
「人間が猫を飼っているのではない
猫が人間のそばにいてくれているんだ」
(映画「世界からねこが消えたなら」より)
(2016(平成28)9月記)
ハナミズキ [学名:Cornus florida L.]
ミズキ科の落葉高木。北アメリカ原産の外来種。
アメリカではドッグウッドと称し、バージニア州の州花になっている。
日本への導入は、1912年(明治45)、当時の東京市長の尾崎行雄氏がサクラの苗木をワシントン市に寄贈した返礼として、1915年(大正4)に贈られたのが初めである。
よって、花言葉は、「返礼」。
寝るときも、いつも、君とぼくは、
同じ格好だった。
そして、いつも重さとぬくもりを
くれていました。
それは安心という薬でもありました。
生後2ヶ月でもらった仔猫のころ。
ふるさとはサロマ湖の漁師さん家。
妻が初めて出会ったときのちゃちゃ。
かなり、おすましをしたと思う。
平成10年3月 北海道の漁師さん宅で生まれる
平成10年5月 先猫「にやお」のいる主人のところへもらわれる
平成11年8月 3泊4日の留守番に耐える
平成14年4月 札幌へ転居、「にやお」と離れる
平成14年7月 尿結石で2泊の入院をする
平成14年8月 ちゃちゃファンのおばあさんが名古屋からやってきて涙される
平成16年8月 実家帰省時に脱走、約1ヶ月にわたり行方不明になるも無事に発見保護
平成16年9月 白い猫「ゆっこ」を迎える
平成18年8月 再び脱走、行方不明のまま冬に。絶望視していたところ「めーめーちゃん」と名付けられ、ちゃっかり優しい人に拾われて飼われていた。翌年1月に発覚し、主人に連れ戻される。
平成19年12月 京都のねこ友さんからブルーの手編み服と首輪をプレゼントいただく
平成23年6月~山小屋にゃんを勤める
平成24年4月 はじめて飛行機にのり、はるか九州へ渡る 「ゆっこ」とも離れる
平成25年4月23日 九州にて逝去